ムラージュ

岡田和一郎先生の後ろの戸棚に陳列されているものは、ムラージュといいます。患部の蝋性標本です。患者さん(あるいはご遺体)に直接石膏を当てて型を取り、蝋を流し込んで凝固させ、これに色付けをして仕上げます。つまり実物大の模型です。主に体表の患部の記録と教育に用いられました。

岡田和一郎先生。後ろにガラス扉のキャビネットがあり、中にムラージュが並んでいます。(東京大学医学部1915年卒業アルバムから許可を得て掲載。東京大学医学部図書館蔵。)

ムラージュの技法を日本に持ち帰ったのは岡田先生では無くて、東大皮膚科泌尿器科の初代教授土肥慶蔵です。土肥先生はドイツ留学から帰国後、高野椋一と伊藤有(たもつ)に技術を伝えました。高野はまもなく病死しましたが、伊藤は高品質のムラージュを量産し東大皮膚科学を支えました。カラー写真などの記録技術によってムラージュはその役割を終えましたが、現在は近代医学の発展を伝える貴重な歴史的資料として見直されています。

高野椋一作製。喉頭(気管の入口)が2つ、頭側から見下ろす様に設置されています。写真の上が背中側で、食道は切り落とされています。写真の下方は舌です。左側は「廻帰神経麻痺」右側は「喉頭線維腫」というラベルが貼ってあります。

「廻帰神経麻痺」のムラージュ。V字に見える声帯が、左右非対称です。向かって右に見えるのが、患者さんにとっては左声帯です。左声帯は厚みがあり、中央に寄っていて真っ直ぐに見えます。ところが右声帯は細く痩せていて、外側に傾いています。現在では「反回神経麻痺」あるいは「声帯麻痺」と呼びます。甲状腺がんの手術に関連して生じることがあります。この患者さんは、恐らく甲状腺がんが半径神経に浸潤して、手術後に反回神経麻痺が起きて、さらにがんが再発あるいは転移してお亡くなりになったと想像できます。

「喉頭線維腫」のムラージュ。V字の声帯が見えず、代わりにゴツゴツした腫瘍があります。気道を塞いでしまう大きさです。この患者さんは窒息死したと考えられます。

伊藤有作製の「中耳癌」のムラージュです。箱に簡単な病歴が書いてあります。患者氏名は画像加工で伏せています、28歳男性。「入院病歴 自大正十三年、至同十五年、大正十二年夏発病、十三年三月耳茸手術、十三年四月二十五日根治手術、大正十四年十月十九日入院、十五年二月不治退院」となっています。癌が骨を破壊して皮膚まで浸潤しています。中耳癌は現在でも治療が難しいがんの一つです。当時はCTも電動ドリルも抗生物質も抗がん剤もないので、治療に苦労したことと思います。